Aikakausi |
Kuvaus |
Edo-kausi
江戸時代
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Yhtenä Tosan maan kuuluisimmista tuotteista (prefektuurin vanha nimi, goishicha ja aocha Reihokun alueelta sekä rokuzoucha Tsunoyaman alueelta tunnettiin hyvin).
「土佐国土産名物」に嶺北地方の碁石茶や青茶、津野山地方の六茋茂
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慶長7年 |
山内一豊は国中に指令を出し、茶を集荷. |
寛文2年 |
野中兼山は「国中控」を布告し茶の植え付けを奨励. |
明治4年 (1871) |
京都からの14名の茶師を迎え、茶の指導に当たる. |
6 vuotta (1873) |
官民設立の共立社が長岡郡豊永村に茶工場を建設. |
11 vuotta (1878) |
紅茶の試作を行い県下5ヶ所で伝習所を開設、普及に努める。 |
13 vuotta (1880) |
県下20ヶ所で紅茶製造を行い、輸出を始める。 |
15 vuotta (1882) |
須崎と高知へ製茶検査所を設ける。 |
20 vuotta (1987) |
県内茶園面積1,225ヘクタール。収穫量は535トン。県茶業組合連合企趭所 |
43 vuotta (1910) |
静岡県より講師を招き製茶技術向上を図る. |
大正2年 (1913) |
旧別府村沢渡に蒸機から乾燥まで機械化された共同工場が作られる。 |
昭和7年 (1932) |
集団茶園設置事業を開始し13ヶ所で実施. |
12 vuotta (1937) |
茶園面積950ヘクタール。収穫量は533トン. |
20 vuotta (1945) |
食糧増産のため茶園の大半が畑に転換され、茶園面積は180ヘクタル渂囂 |
30 vuotta (1955) |
長者農協が紅茶工場を仁淀村古城山に誘致し年間6トンを生産する。 |
32 vuotta (1957) |
「茶業振興計画」を設定し紅茶園の増殖など茶業振興を図る。 |
34 vuotta (1959) |
第1回高知県茶品評会開催. |
36 vuotta (1961) |
高知県茶業伝習所発足. |
40 vuotta (1965) |
紅茶の国際価格の低迷と国内緑茶価格の好調などにより、紅茶から绁紅茶から緑茛. |
46 vuotta (1971) |
本県最初の防霜施設を窪川町に設置。紅茶輸入が自由化される. |
48 vuotta (1973) |
高知県茶業センターが発足. |
49 vuotta (1974) |
佐川町農協が製茶工場を設置. |
50 vuotta (1975) |
第28回関西茶業振興大会を本県で開催. |
53 vuotta (1978) |
3月の晩霜により多大の被害を受ける。 |
54 vuotta (1979) |
防霜緊急対策として防霜ファンの設置が始まる。また、「「新茶まつ」まつ」」消費拡大に努める. |
58 vuotta (1983) |
第36回関西茶業振興大会を本県で開催. |
60 vuotta (1985) |
「茶生産増強3・7・3運動」を提唱し、土づくり・反収向上・コスト上・コスト低渂所設置. |
平成3年 (1991) |
第44回関西茶業振興大会を本県で開催. |
5 vuotta (1993) |
池川町と仁淀村でFA工場を設置. |
6年 (1994) |
東津野村にFA工場設置. |
7 vuotta (1995) |
十和村にFA工場設置. |
11 vuotta (1999) |
佐川町にFA工場設置.第52回関西茶業振興大会を本県で開催。 |
12 vuotta (2000) |
東津野村にレール式茶園管理施設設置. |
17 vuotta (2005) |
大豊町碁石茶生産組合(生産者9戸)が設立される。 |
19 vuotta (2007) |
大豊町碁石茶生産組合が「地域食品ブランド表示基準制度」に認定さ。 |
21. päivä (2009) |
高知県産業振興計画による土佐茶振興対策の取り組みが始まり、土佩茚仁淀川流域茶振興協議会が設立される. |
22 vuotta (2010) |
荒茶加工施設(仁淀川町、津野町、四万十町)の老朽化対策を実斋荖を実施。退会する. |